皆様、すっかりご無沙汰しております。バレンタインデーにポストして以来ですからひと月半ぶりになりますね。

「だれか良い人できたの?」とか「旦那さんと縒りを戻したのかな」などとお気遣いいただきましたが、答えはどちらもNOです。

2月15日から3月上旬までは、確定申告にかかりきりでした。私は納税額より還付金の方がはるかに多く(予備校・専門学校・大学のお給料は源泉徴収されている上に、業務請負のフラワーコーディネイターとしての仕事など、全体の収入からすると微々たるものなので)ですから3月15日を過ぎても加算税は上乗せにはならないのですが、何年か前、申告期間を大きく外れた3月末に申告したら、まあ暇だからなんでしょうか、税務署の人にあーだこーだと突っ込まれて不愉快な思いをしたものですから、それに懲りてできるだけ期間内に申告することを心がけています。

一応、私、青色申告業者になっており、複式簿記での貸借対照表・損益計算書を作ることを義務付けられているのですが、これが一苦労。おまけに私の仕事は確定申告期間の直前までが嵐のように忙しい。毎年、春から初めて秋口までは経費のレシートや領収証もきちんとノートに費目ごとに仕訳して糊付けしておくのだけど、秋が深まるこころにはそんな余裕もなく、角三封筒に、ミソも○○も一緒に入れておくようになってしまいます。

作業は、まずはその膨大な経費のレシート類の整理から始まります。そして貸借対照表・損益計算書の作成。きちんとした簿記の勉強をしたことが無い私には、これが何にも増して大変。最後は徹夜、と言うと大袈裟ですが、睡眠時間を削って作成する羽目になります。(新年度の予備校の仕事も始まっているので、帰宅して深夜に床中にレシート類を広げてブツブツ言いながら)

えっ、税理士に頼めばいい?

そうなんですよ、以前はカジヤさんの紹介で、とある税理士さんに頼んだ時もあったのですが、その…何だろう…確定申告や税務処理に名を借りてだんだん、プライベート の領域に侵食してくる方で、気持ち悪くなってお断りしてしまいました。

「僕に任せてくれれば、還付金、倍にできるよ」と言い、日常使ったレシートをすべて写メで送れ、とか、アドレス交換したら「今何してるの?」みたいなメール送ってきたり。最後、もっとタイムリーにやり取りしたいからLINEに移行しようよ、というメッセージを見て(もう無理)と思い、お断りしてしまいました。こっちはれっきとした人妻なのに(そしてその人も既婚者)、どういうつもりなんだろう。

その後、女性の税理士を探すも、いい人が居なくて今に至る…

あら、すみません、確定申告話が長くなってしまって。

そうそう、それでようやく期間の最終盤に滑り込みセーフで申告を済ませると、だいたい毎年具合悪くなるんです。去年、家で倒れ、セレブ御用達の中央区の某病院に入院して治療費入院費計40万が吹っ飛んだのも、やはりこの時期。張り詰めていた気が緩むと身体がガクッと来るんですかね。

今年も(あ~終わったぁ…温泉でも行きたいなあ)と思っていたら翌日熱発。近所のクリニックに行ったら、見事インフルエンザ陽性でした。

この間、それなりに日記に書きたいこと(カジヤさんと飲みに行って気分を害してブリブリ怒って帰ってきた話や、ある人に抱きしめられて号泣した話、出会い系アカウントをハッキングされた話、大学の時の友人とハイクラスホテルのアフタヌーンティーに行った話、ちょっとエッチな夢を見た話など)もあって、メモ帳アプリに少しづつ書き溜めていたのですが、今日は、うかうかしていると時機を逸してしまうので、今が盛りの桜にまつわる話を。(前置き長っ!)

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去る3月29日、例年より5日遅れて東京の桜が開花した。地球温暖化の影響なのだろう、年々歳々開花が早まり、この分だと2100年にはクリスマス頃に満開になるんじゃないの?なんて言っていたが、今年は3月に入ってから震えるような気温の日が続いたせいか、昨年よりなんと2週間遅れ。きのうおとといあたりが入学式のピークなので、昔ながらの「桜の下で入学式」が復活した模様だ。ここ何年かは「卒業式に桜が満開」だったが、やっぱり期待に胸をふくらませて校門をくぐる学生生徒たちには葉桜より満開の桜が似合う。

古来、日本人はこの花を特別に愛でてきた。何しろ和歌で「花」と言えばそれは桜のことなのである。梅は梅、椿は椿、山吹は山吹。でも桜は単に「花」。まさに「別格」だろう。

桜を歌った和歌の中でいちばん名高いのは六歌仙の一人、在原業平の

「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」

だろうか。古文の授業で反実仮想「⋯せば~まし」(もし~ならば⋯だろうよ)の例文で習った方も多いと思う。

世の中にもし桜がなかったら春はどれだけ心穏やかに過ごせるだろう、と桜への愛を逆説的に歌ったこの和歌は確かに代表作にふさわしい。

予備校の授業でそう言ったら、手を挙げる男子がいて、どうした?と訊いたら、「えっと、なんで雨が降ったり風が吹いたりすると、のどかに過ごせないんですか?」と訊ねられ(そっからかよ)と絶望した覚えがある。ドのつく理系の子だったな。

あとは古今和歌集の選者、土佐日記の紀貫之の従兄弟、紀友則の

「ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ」
か。

「花吹雪」という言葉は英訳しづらい。「flower blizzard」と直訳したら相手の頭にでっかい「?」が浮かんだ、という笑い話があるが、これは鳥肌を「chicken skin」と訳すようなものだ。あえて英語にするには「confetti of cherry blossom」がいいらしいが、これであの幻想的な光景が伝わるか、甚だ疑問である。(confettiはいわゆる「紙吹雪」のこと)

去年、ちょうど落花盛んな頃、一橋大学に用事があって国立の駅前から大学まで桜並木の下を歩いていたら、金髪青い目の欧米からいらした方々が7・8人、だれも一言も言葉を発せず、じっと桜吹雪を眺めていた。そしてそのうちの一人がポツリと「Amazing⋯」と。やはり、美しいものには国境は無いのだろう。

「花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに」

六歌仙の紅一点、小野小町。その美しさは1000年以上経った今にも語り継がれ、美しい人を「××小町」と言うくらい美女の代名詞になっている。本当に美女だったのか、という命題については、ググるとどうやら大勢は「否」。

「世界3大美女」は明治になってから突如、読売新聞の社説に登場したらしい。日本に入ってきた時は3大美女は「楊貴妃+クレオパトラ+ヘレネー(ギリシャ神話の女神)」だったのだが、どういう訳か新聞社の主筆がヘレネーと小野小町を差し替えた。時は明治22年、欧米列強に追い付け追い越せ、まさに「坂の上の雲」の時代である。我が国の代表的な美女を持ち出し、欧米列強何するものぞ、とき気勢を挙げたかった説が濃厚である。(それにしては楊貴妃は唐代、クレオパトラはエジプトだが…)

この社説をきっかけに、大正期の女性論の中に小野小町が何度も取り上げられ、いつしか絶世の美女、というイメージが世間に刷り込まれていったらしい。が、そもそも古書に小野小町が美女だったという記載は一切無いという。

上記の歌は、「桜の花の色は虚しく色褪せてしまった。春の長雨が降り続く間に。そして私の容色も衰えてしまった。恋や世間のことなど物思いに耽っている間に」という意味だが、いかにも美女が詠むにふさわしい内容だったのが美女説に拍車をかけたのだろうと思う。

だが、私は上の代表作より

「色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける」に惹かれる。

「花は色褪せていく様子を目で確かめることができるのに、人の心に咲く恋の花は知らぬ間に移ろっていくものだ」と、不実な男の浮気心を嘆いた歌である。

えっ、身につまされるから?

ははは…(^_^;)  確かにそうですね。でも私がこの歌を好きになったのは旦那の婚外恋愛を知る前ですが。

男の人はほんとに虻(アブ)or蜂、ですよね。虻や蜂を見てると、一つの花にじっとしていることがない。花から花へと常に飛び回っている。

ここで私を熱心にお誘いくださる方(それ自体はとても嬉しいのですが)も、ほとんどの方が妻帯者。あらあら、奥様がいるのに…と思わぬでもない。

そういえばこの間も、飲み屋のカウンターで熱心に若い女性を口説いている方がいらして、だいぶきこしめしていて声も大きかったのですが、やれ「女房は女として見れない」だとか「女房は子供のことしか考えてない」とか「俺は単なるATM」だとか…。心なしか隣にいるうら若い女性はウンザリしているように見えましたが…


さて、ではなぜ私たちはこれほどまでに桜が好きなのだろう。やはり、これは「日本人特有の『滅びの美学』に合致するから」説を支持したい。

何ヶ月も前、寒さ厳しい2月の頃から開花を楽しみにし満開を心待ちにしていたのに、爛漫と美しい桜はたった10日ほどで散ってしまう。「世の中の全ての事象はうつろいやすく儚い」という無常観をこれほど体現している花は他にない。

「花は桜木、人は武士」。
美しく咲いて潔く散る桜花のような生き方こそ、人のもっともあらまほしきものであり、そしてその生き様の象徴が武士だ、ということなのだろう。

そう言えば、アメリカに留学している時、日本文化を研究している人からこの言葉の解釈を訊かれ、一生懸命説明したけどどうしても伝わらなかった覚えがある。彼が言うのは「なんでパッと散るのに価値があるのか」ということだったのだが、言葉を尽くしても伝わらず、最後は諦めて「どうしてもなのよ!(Because all Japanese say so!)」と匙を投げたっけ。彼は肩をすくめて目をぐるりんとしていた。

人は散り際が大切。それを歌った私の大好きな和歌がある。

詠み人は、乱世に生き、運命に翻弄された悲劇の美女、細川ガラシャその人である。

明智光秀の三女に生まれ、頭脳明晰、しかも会った誰もが息をのむほどの美貌だったという彼女は、父親同士が盟友だった細川忠興に嫁ぎ、五人の子をもうける。夫婦仲は良かったようで、イケメンと伝えられる忠興とは「絵になる夫婦」と言われていたそうだ。しかし父・光秀が突如、主君信長に刃を向け(本能寺の変)、大逆臣となった父のあおりで丹後国に幽閉される。そこではほの暗い座敷牢に囚われ、うつ病を病んだらしい。

その後キリスト教を知り、洗礼を受け「ガラシャ」のクリスチャンネームを得るが、忠興は妻の勝手な改宗に激怒する。何しろ天下人・秀吉が「バテレン追放令」を出すのは、彼女が洗礼を受けた数ヶ月後である。秀吉に仕える忠興は、キリスト教に対する逆風を感じ取っていただろう。

忠興は、側室を五人持つ、とガラシャに告げるなど、彼女にきつく当たる。(全く、男の人ったら、どいつもこいつも…)

彼女は夫と別れたい、と思い、何度かそれを口にしたらしいが、離婚がキリスト教で禁じられていたこともあり、そんな夫の狼藉にも耐えた。

その彼女が、東軍の大名の妻子を人質にとって戦力を削ごうと考えた石田三成の軍勢に囲まれ、自ら命を絶ったのは38歳の時。

もはやこれまで、と思った彼女は

「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」(花は散るときを知っているからこそ花として美しい。 人間もそうであらなけれならない。 今こそ散るべきときである)そう辞世の句を詠み、短刀で自らの胸を突いて自害した。(一説によると、自殺を禁じられていたクリスチャンなので、家臣に斬らせた、とも) 

まさか自害するとは思っていなかった三成はたいそう衝撃を受け、その後の「東軍大名の妻子人質作戦」を思いとどまった、という。

側室を作る、と宣言するような夫に忍従し、その夫の足手まといにならぬよう自ら果てた彼女を「武家の妻女の鑑」と見る向きもあるが、そうだろうか。私は彼女のプライドがそうさせたのでは、と思う。三成に囚われたことを知った忠興か「愚か者めが!」と吐き捨てる様を想像したら⋯あるいは、もし夫が人質たる自分の命を一顧だにしなかったら⋯

どちらもこれほどの屈辱は無い。

気位の高い彼女は、そんな辱めに甘んじるくらいなら、いっそイエス様の下(もと)に、と思ったのではないか。そう思うのである。

「花も花なれ 人も人なれ」…

ガラシャの壮絶な生き様を知って以来、桜の花の下を歩くたび、そのリフレインが胸にこだまする。

(※そう言うと、「がっかりさせるけど、あのガラシャの辞世の歌は死後180年以上経ってから現れたもので、彼女自身のものではなく後世の作なんだよ」と余計なお世話の注釈をされる方が必ずいるのだが、それは百も承知。そもそも、私たちは歴史家ではないので、それが史実と異なっていてフィクションだと知っても、さほど興醒めしない。

坂本龍馬が薩長の仲をとりもったことも、長篠の戦いの鉄砲千挺三段撃ちも、信玄と謙信の一騎打ちも、今では明確に否定されているが、そんなことはどうだっていいのである。

いかに史実に詳しいお節介がドヤ顔で言おうとて、私の中のガラシャ―北川景子さんのような超絶美女なのだが―は、「⋯花も花なれ 人も人なれ」と呟いて見事な自害を果たすのです)