(マイの場合 その2)

「で、どうして再開したわけ?」ひとしきり、婚活指南書をネタに笑ったあと、カオリがマイに訊ねる。

「うーん…これといったコトもなかったんだけど」そういって、マイはお代わりのロイヤルミルクティをかき混ぜている。

二人はマイが再び口を開くのを待った。

「私の高校のクラスメイトで女医をしている子がいるっていったの覚えてる?」
「ああ、うん。三井記念病院に勤めてんだっけ?」
「そうそう。以前ね。それで大学の同期だったお医者様と結婚したの」
「おお!ザ・パワーカップルだ」
「その旦那さんがね、生殖医療を専門としていてさ…」

出身校の同窓会で再会して以来、旧交を温めたマイは、彼女から卵子凍結をしてはどうか、と助言されたのだ、という。

私がいっとき、妊活を熱心にしていたことを知るカオリは、ほんの一瞬私を見、すぐに視線をマイに戻した。

「ふうん。で、するの?」
「うん。してみようかな、っていう気になってる」
「痛いんでしょ?偉いね」インフルエンザやコロナのワクチン接種でさえ死ぬかと思った、と大袈裟に騒ぐカオリは顔を顰めている。
「人によるらしいよ。鈍痛程度の人もいれば、一日寝てないとならないくらいの人もいるらしい」
「あ、採卵の時に痛いんじゃないんだ?」
「それは一瞬のチクン、程度で、むしろ術後が痛いみたい」
マイの「チクン」という言葉に合わせてびくん、と身体を震わせるカオリに二人は声を上げて笑った。

カオリは出産なんてとんでもないね、と私が言うと、むりむりむりむりむり…と手を顔の前で振る。
「それも私が一生シングルでいようと思った理由の一つだよ」そう言い、それで?と話の続きを促す。

「順番逆なんだけどさ。採卵して凍結するってことは、45歳までに相手がいなければ廃棄されるわけだよ。なんか、捨てられる私のeggを想像したら、相手探さなきゃっていう気になった」
そう言ってマイは再びミルクティを見つめる。

確かに逆っぽいけどなぁ…、と言ってカオリは私を見るので
「すっごい分かる。私だったら泣いて泣いて泣き明かすだろうな」
そう言うと
「どうやって捨てるか知らないけど、引き取らせてください、って感じだよね。こちらで懇ろに供養しますからって…」マイが後を継ぐ。

そうだなぁ…海に流すか、はたまた富士山を遠く望む丹沢や奥秩父の山中に埋めるか。いずれにしても医療廃棄物として業者に引き渡されるのはどうにもやるせない。

「ごめんね…相手が探せなくて」と泣きながら卵子たちにそう詫びるだろうな…やっばり山がいいか。落ち葉をかぶせて、「また来るからね」と優しく撫でて下山するか…

そんな空想はカオリの現実的な質問によって中断された。空想の内容をカオリに話したら「また得意の夢見る夢子ちゃんのお出ましか!」と言われるに決まっているので黙っておく。

「卵子凍結っていくらぐらいかかるの?」
「えーっと…」マイが慌ててスマホのスクショかメモアプリを探るので
「イニシャルコストで50~80万、あとは年に卵子1個あたり1万くらい、だよね」と覚えていた数字を代わって答える。

「クライオトップ―容器の名前なんだけど―1本に卵3ヶ保存できて、1本当たり年間で1万円。だから20ヶ保存すると年間の保管料が7万円」
「おっ。やっばりユウナも検討したんだ…。そんなもの?」とカオリは訊ねる。

最後の「そんなもの?」は、私は「30半ばで、そこそこお金がある独身女はみんな一度は検討するもの?」という意味で使ったと思ったのだが、マイは「その程度の金額?」と受け取ったらしく、カオの推し活にかけるお金に比べたら安いもんよ、と茶化した。

「でもさ、母親には結婚してなくてもなれるよね」そうカオリが問うと、
「精子ドナー?」と再び声を潜めてマイが訊ねる。
「ドナーっていうか、相手がいればさ」
「無理だよ、ウチの会社で未婚の母なんて、上を下への大騒ぎだよ。あんたんとこ大丈夫なの?」
「ウチはほら、半分外資みたいなもんだから。LBGTカップルもいるし」
「まあ、それを理由にクビにはならないだろうけど、出世の道は絶たれるだろうね。そうなったらキャリアより子育てに舵を切るんだろうけど、そうなるとさ、毒親になるよ、ウチなんて。『ママが自分のキャリアを捨ててあんたを産んだんだから、絶対御三家入らないと承知しない!』とか何とか」

おおお、毒親のマイは想像するだに怖いわ、と言ってカオリは首をすくめる。「でもそれも何だか変だよね。男は自分のタネで未婚の母を作ったところでお咎め無しでしょ」そう僅かに頬を膨らませて言うカオリ。

「そもそも、未婚の父になったかなんて、周囲の誰にも分からないからね」
「ズルいよな。この世の中だいたい女が損するようにできてるんだ…。『異次元の少子化対策』って言うなら、未婚の母だろうと何だろうとじゃんじゃん奨励すりゃぁいいのにね。そっかー、未婚の母なんてフリーランスでもなきゃ無理かぁ…」そう言うやいなや、自分の失言に気づいたカオリは慌てた素振りで「ユウナごめん!そういうつもりで言ったんじゃないんだっ」と言って眉を八の字にし、手を伸ばして私の左手に重ねる。

カオリのそういう物言いにはもう慣れているので、
「大丈夫だよ。ほんと、そういうことができるのがフリーランスの強みだよね」と言ってカオリの手の甲に自分の右手を重ねた。
 
「やっばり、女に生まれたからには母になることこそが正義か…」誰に言うともなく、呟くようにカオリは言った。