(マイの場合 その3)

「そう言えばさ…」
重くなった空気を振り払うようにマイが話題を転じた。

「高校の同級生が‪✕‬‪✕‬に転職してね」とマイが大手結婚相談所の名を挙げると、渡りに舟じゃん、とすかさず混ぜっ返すカオリ。

まあね、と軽く流したマイは私とカオリに問いを投げる。
「表に出せないらしいんだけど、男性会員が望む女性会員の出身大学人気ランキングってのがあるらしいの。どこだと思う?1位は」

「上智!」「5位くらいかな」「青学」「2位だったかな」「立教?」「4位とか5位とか」

カオリが思いつくまま挙げ大学を挙げ、そして外しまくる。

「まさかのうちらの大学?」
「圏外だよ笑 かすりもしない」

降参、と言って両手を軽く上げるカオリからマイが私に視線を移すので私は直感で頭に浮かんだ「津田塾」と答えた。
「ご名答!さすが予備校の先生だわ」とマイが感嘆し、ああ、なーる⋯とカオリも呟く。

「要はさ、男は自分よりチョイ下のレベルが良いわけよ」とマイ。
「女子大で変な虫もついてなさそうだし」そう言って納得するカオリ。
「うちらも女子大たけど?」と私が言うが
「だめでしょ」とにベもない。
(そっか、だから東大生の相手としては座りがいいんだ、とカオリが納得する)

実は、マイの持ってきた本には、付箋が貼ってある個所がもうひとつあった。カオリがチラと見ただけで声に出して読まなかったので、2人が他の話に夢中になっている時にそっと開けてみた。そこには
「30代有名大学卒のキャリアウーマンが25歳専門学校卒の派遣社員に負けるのが婚活である」
とあった。

カオリが読むのを思いとどまったのも、「マイの心をへし折った出来事」を容易に連想させる箴言だったからだ。

マイは、あと数ヶ月で大台に乗る、という20代最後の年に、転職(異動だったかもしれない)で同じ職場になった男性に恋をした。歳は同じか1つ上だったと思う。

あのマイが、と私たちが思うほど、彼女は10代の少女のように健気にいじらしく想いを募らせた。

そして、いよいよ想いを打ち明けようとした矢先、その彼は同じ職場の女子社員と結ばれることを発表した。

その女の子は、まさに本の通り「25歳派遣社員」だった。(学歴だけは本と違って短大卒だった)

マイに「ヤケ酒に付き合って」と呼び出された私もカオリも、マイから顛末を聞いて言葉を失った。

誤解しないでいただきたいが、私もカオリも、派遣という身分を見下している訳ではない。今の世の中、色んな働き方のかたちがあっていい。私の身分であるフリーランスなんて、ある意味、派遣以下である。

ではなぜ言葉を失ったか。それはこんな思いがあったからだ。

私たちはなぜ「少しでも偏差値の高い大学」を目指すのか。それは何か具体的な果実をイメージしているわけではない。どこかのアルピニストが言ったように、山が高ければ高いほど、征服してやろう、という気持ちになるものだ。大方の受験生は、NPBのプレイヤーがメジャーを目指すような純粋なモチベーションに支えられて必死に英単語や日本史の年号を暗記する。だが同時に、心の奥底のさらに片隅に「学歴は将来、武器になる」とも思っている。それを表に出すとはしたないから心の奥の引き出しにしまっておいてあるだけだ。

生涯年収。信用。世間からの評価。そして伴侶選び。

今の日本の受験システムは、「頭の善し悪し」もさることながら、「どこの大学を出たか」は「どれだけやりたいことを我慢して机に向かったか」とほぼ同義である。

カオリもマイも、北関東の名門女子高出身である。私は、と言えば、分不相応にも東大に年に70人(当時は)も入るような進学校に通っていた。毎日毎晩文字通り寝る間を惜しんで机に向かった。眠くなるとコンパスの針で腿を刺して目を覚ましたこともあった。高3になるとストレスから生理も止まったが、周りはそんな子がゾロゾロいて、「止まってこそ一人前」などと冗談とも本気ともつかぬ事を言い合っていた。共学で男子もライバルだったが、「あいつらセーリがなくてほんとずるい」と陰口を言って憂さを晴らした。

そのまさに血のにじむような努力は、例えばこういう場面でアドヴァンテージになるはずではなかったのか。

「話が違う」

口には出さなかったが、3人の胸に去来していた思いは、言語化すればそんなセリフになるだろう。

「なんだったんだろうね。うちの努力って…」そうマイはポツリと呟いた。マイの言う努力とは、彼の気を引こうとして頑張ったことを指していたのだろうが、カオリと私は、自分たちの勉強一色の「灰色の高校時代」に思いを馳せ、そして「ホントだよね…」と相槌を打った。

店主の趣味だろうか、高田馬場の路地裏の、昭和歌謡が流れる赤ちょうちんで、鼻水をすするマイの背中を両側から撫でる私たちのバックには、アリスの「秋止符」が流れていた。