今日、9月27日は、故竹内結子さんの4回目の命日である。
4年前の2020年の今日、彼女は私達のもとから彼の世に永遠に旅立ってしまった。

その数日後、私は涙をぬぐいながら下の文章をしたためた。命日の今日、皆さんに彼女のことを思い出していただきたくて、ここに再掲させていただくこととした。
ご高覧くだされば幸いこの上ない。

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日曜日。いつものように、NFL week3の結果を確認しようと思ってパソコンを立ち上げたら衝撃的なニュースが目に飛び込んできた。女優・竹内結子さんの死である。

過去四度の日本アカデミー賞優秀女優賞を受賞し現在の日本映画シーンには欠くべからざる存在だったと言ってもいいだろう。一度不幸な結婚→離婚を経験しているとは言うものの、その後良き再婚相手に恵まれ、今年の1月に2人目のお子さんも授かった。傍から見れば順風満帆に見える中での突然の自死。

その後、チラチラと斜め読みする程度だが、様々なメディアで様々な後付けの憶測がされているのを目にした。曰く「信頼していたマネージャーが辞め、孤独感を深めていた」「気配りの人だったのでそれが仇になって周囲へ苦しみを発信できなかった」「子育てがうまくいかず産後ウツだった」「40という節目の歳を迎え、新境地を切り開くプレッシャーに押しつぶされた」云々かんぬん…

読めばどれも当てはまる気もするし、どれも牽強付会のような気もする。

大学時代に心理学を専攻していた私は、専門科目の精神医学や精神衛生の講義で自死について学ぶ機会をもった。ただ、学んで(学ぶ、と言っても学部での学びなど、その学問の全体像を庭の外から眺める程度でしかないが…)分かったのは、「自死した理由はそれを選んだ人にしかわからない」ということだった。

何か理解できないことを他者がすると、人は「心の闇」という都合のいい言葉でやり過ごそうとする。

人の心の営みというのは複雑で、持ち主自身も理解できず制御できないこともある。

以前は何でもかんでも「心の闇」で片づけてしまう風潮に苛立ちも覚えていたものだが、最近は「闇」という言葉の良しあしはあろうが、「分からないものは分からない」と結論づけるのが最良かもしれない、と思うようになった。

日曜日の午前、やらねばならぬ家事もあったのだが、それも放り出し、アマゾンプライムで「ストロベリーナイト」を観た。最初は大好きなシーンが何分ごろなのか確かめるだけのつもりで開いたのだが結局約2時間、オープニングからエンディングまで観てしまった。これを見るのは何度目だろう。10回ではきかないかもしれない。私の大好きな映画の一つである。

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都内各所で3人の暴力団構成員が次々と殺される。被害者はいずれも殺害後、片目を鋭利な刃物で切られていた。連続殺人事件として帳場(合同捜査本部の隠語)が中野東署に設けられ、姫川玲子(竹内結子)をリーダーとする「姫川班」はその捜査に当たる。いわゆる「マル暴」である組対四課は暴力団内部抗争説をとるが、姫川らは単純な暴力団の内部抗争ではない「匂い」を感じている。そんなとき、たまたま鳴った手近の電話をとった姫川は「ハンニンハ、ヤナイケント」というタレコミを耳にすることになる。「ヤナイケント」を調べ始める玲子。ところがすぐに複数の上司から「柳井健斗のことを嗅ぎまわるな」「手を引け」という命令を受ける。(これには絶対に何か裏がある)そう直感した姫川は捜査会議にも出ず単独で柳井健斗(染谷将太)の身辺を探る。柳井は9年前、実父による姉殺しという悲惨な事件の当事者だった。しかも無実を訴えていた実父は、取り調べ中に警官の拳銃を奪って健斗の目の前で自らの頭を撃ちぬいて自殺。その事件は被疑者死亡で処理されていたが、実父にはアリバイがあったことが後から明らかになっていた。警察の初動捜査のミスとその隠蔽…。確信を抱いた玲子は改めて真実を暴くことを心に誓う。

やがて玲子は、自分と同様、柳井健斗を追っている不動産会社の代表、牧田勲(大沢たかお)と出くわす。牧田は柳井健斗に多額の金を貸していてそれで探しているのだ、と説明する。実はこの牧田は、広域暴力団の若頭補佐、将来の跡目の最有力候補と目される人物だった。

組には余命幾ばくもない組長(石橋蓮司)の跡目争いの芽が生まれており、連続殺人はその争いに絡んだものだろう、という見立てが捜査本部でも強まる中、健斗の自殺死体が見つかる。傍らには自分が全ての犯行を行った旨の遺書も残されていた。しかも、凶器の銃からは健斗の指紋が見つかる。

暴力団に恨みを抱いた柳井健斗の単独犯説で捜査本部の流れは固まる。が、玲子はその見立てに納得がいかない。このまま健斗の仕業となれば、死人に口なし、彼の過去に絡んだ警察の失態も闇から闇に葬られる。警察の威信よりも正義の実現を…その思いを胸に、自分以上の何かを知っているに違いない牧田に接近を図る。

そんな中、玲子の命を受け柳井の近辺を探っていた部下の菊田(西島秀俊)が「とんでもない代物」を手に入れる。それは柳井健斗が密かに撮っていた犯行シーンの録音だった。やがて明らかになる衝撃の真実…。

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この作品の何が私の心の琴線に触れたのだろう…。もともと西島秀俊さんが好きで、一番最初は彼の出演作なので何となく観始めたのだが、すぐに物語にグイグイ引き込まれていった。ちなみに、映画化の前にフジテレビで連続ドラマとして放映されていたらしいが、連続ドラマを観るという習慣のない私は、その放映さえも知らなかった。

Wikipediaには「監督の佐藤祐市は『インビジブルレイン』の原作タイトル通り、姫川の持つ闇を雨に象徴させて表現するため、ほぼ全編に渡って雨天の中で物語が進むという演出をすることに決めた。この雨を降らせる演出のため予算は通常の1.5倍かかり、晴れの日には中止されるという難しい撮影が続けられた」とある。物語のエピローグ的なエンディングを除くと、屋外のシーンは全編、例外なく雨が降っている。気の滅入るような陰鬱なシーンの連続。お世辞にもカタルシスを得られる類の映画ではない。結末もハッピーエンディングとは程遠い。私は基本的には、「心が温まる」とか「生きる活力がもらえる」映画が好きなのだが、およそそれとは正反対の映画である。

だが、外国映画で私が大好きな「第三の男」も「レオン」も、本作と同じようにアンハッピー・エンディングである。暗く捻じれた私の心性は、実はそういう映画を望んでいるのかもしれない。

謎解きを縦の糸とすれば、姫川玲子と牧田勲、柳井健斗の3人の暗い過去が横糸として物語に陰影を与えている。牧田勲も若かりしころ、家族を食い物にされ、その復讐のためにヤクザを殺めて服役したという過去を持つ。そして17歳の時に悲惨な事件の被害者となり「一度死んで生き返った」玲子。「心に闇」を持つ3人の糸が互いにひかれあい、そして絡まっていく。お互いの「血の匂い」を嗅ぎ合うように…。(「 」の付く語は、映画の中の表現をそのまま用いた)

脇を固める俳優さんはみないい味を出しているが、出色なのは牧田勲演じる大沢たかおさん。彼の演技なくしてはこの映画の成功はなかったと思う。夜叉のような内面を、ソフトな表面(おもてづら)に隠して生きる極道というキャラクターを見事に演じている。

この映画の中で、竹内結子さんはずっと怒っている。直接的には理不尽な命令を下す上層部に対しての怒りなのだが、自分を取り巻く社会全体に対して、そしてまた、必死に生きる一人ひとりの生きざまを翻弄する運命や神に対して怒っているようにも見える。

受け答えは、心もち顎を上げて。馬鹿にされないように、見下されないように、私たち女が構えるときの仕草である。ピンと伸びた背筋。パンツスーツと真っ赤なオータクロア。どうしても同じ赤のオータクロア36が欲しくてをローンを組んで買った。同じようなパンツスーツを纏って姿見の前で結子さんの真似をして顎を上げてみたりもした。

私が一番好きなシーンは、西島秀俊さんと柳井健斗のアジトのガサ入れに行く直前のシーン。(1:34:30頃)

「前にどうして赤にしたか訊いたわよね」
戸惑うようにオータクロアに目を落とす菊田。
「血の色。私が流した血をけっして忘れないようにするために赤にしたの」
いったん足下に目を落とす玲子。
きっ、と顔を上げて
「絶対に乗り越えて見せる。行くわよ」
アパートの階段を駆け上る二人。テーマ曲が被る。

何度見ても鳥肌の立つシーン。

「絶対に乗り越えて見せる」
結子さん、劇中ではそう言ったのに。

もうあなたの凛とした佇まいがスクリーンの中で観られないと思うと、ぽっかりと、心に大きな穴が開いたようです。

心より冥福をお祈りします。533394b4