皆様ご無沙汰しております。前回「竹内結子さんを偲んで」をアップした後、少々身体とメンタルの調子を崩しておりました。おかげさまで良くなったので、こちらのブログも続けていきたいと思います。

ダラダラと書いていたので、桜の頃に行ったアフタヌーンティーの話が紅葉の季節になっても完結せずお恥ずかしい限りですが、乗り掛かった舟、このままあと数回、続けさせていただきたいと思います。感想などありましたら、こちらのコメント欄でも、直接のメッセージでもお寄せいただくと喜びます。

(カオリの場合1)


「そう言えばさ、査問はどうした?」
マイがカオリに水を向けた。
「厳重注意ってとこかな。日頃の活躍に免じて処分の記録が残る『譴責』 にはしないって言われたよ。でも『次に同じことがあったらそうはいかないから気をつけろ』って」
「ちょっとちょっと、査問だとか譴責だとか、どういうこと?」私は驚いて素っ頓狂な声を出してしまう。

マイと目を合わせたあと、カオリは口をへの字に曲げて肩を竦める。

マイがカオリを顎で指し「この子、訴えられたの。パワハラで」と言う。

えっ?!と私が返すと「って言ったってほんとに裁判で訴えられた訳じゃないからね。パワハラを通報する部署にチクられたんだわ」と慌ててカオリが付け足した。

元気で物怖じしない性格のカオリだが、ややもすると言い方がキツくなることがある。根はとてもいい子ということがわかっている私たちは「こらこら」と言いながら苦笑する程度だが、人によっては傷つくこともあるだろう。しかしそれにしても訴えられたとは穏やかではない。

「何があったの?」と訊くとカオリは手のひらを上にして、どうぞ、とばかりにマイを指した。自分で話すとまた怒りが再燃するのだろう。

「会社は仲良しクラブじゃない、だっけ。そう言ったんだよね。Z世代のひょろひょろした男子に」
カオリは、思い出して腹が立ったのだろう、眉間にシワを寄せて「そ!」とだけ言う。

え、え、え、そんな程度でパワハラ?

「だってさ、重要な案件を他社にかっさわれたのよ、最後の最後の土壇場で。そりゃ、失敗は誰にだってある。上手くいくことばかりじゃないし、最後に相手が一発逆転狙って法外な付帯サービスつけたり、ってことがあったかもしれない。そういうことがあるかもしれないから頭ごなしに説教しようと思ったわけじゃないのよ、こっちだって」

そういうとカオリは3杯目のロイヤルミルクティーに口をつける。

「『すみません、力不足で』って頭下げればさ、こっちだってドンマイ、次、頑張ろう、奴ら汚い手を使ったかもしんないし落ち込むなよ、って言うよ」

そうだろう、この子はそういう子だ。べらんめえ調で口は悪いが、正義感に溢れ、強きをくじき弱きを助けるタイプなのは私たちが一番わかっている。

「それがさ、シレッと『ま、運悪かったッス』って言うのよ。しかも横からその子の同期の子が『××、一生懸命やった結果だから仕方ないよ』って慰めるわけ。もうそれ聞いてブチッときて」

それで「会社は仲良しクラブじゃない」か。言いたくなるよな、それじゃ。

それにしても…

大手企業のコンプライアンス体制というのは、今やここまで進んでいるのか。そう思って私は内心舌を巻いた。私が中堅事務機メーカーで事務補助のアルバイトをしていたのはかれこれ15年前だが、当時、若い社員さんが上長に「向いてないんじゃないか?転職するなら早いほうがいいぞ」と叱責されるシーンを目撃して、これがいわゆる「社会の厳しさ」かと慄然としたものだった。

それが15年経った今や「会社は仲良しクラブじゃない」程度でパワハラ認定とは…

そういえば、先日も電車の中で若いOLがオヤジ上司にパワハラ受けた、と息巻いていた。その会話を聞くともなしに聞けば、5連休の有給休暇をとった直後に体調を崩してそのまま続けて3日休んだら、その上司に「健康管理も能力のうちだよ」と小言を言われたらしい。「許せない」と片方が言えば、話を聞いていた方は「人事に言ったほうがいいよ」と後押しをしていた。

やれやれ…この子達は仕事をなんと心得ているのか…私なら這ってでも出勤するけどな…そう思わず心のなかで独りごちたのを思い出した。

こういう話を聞くにつけ、今はお父さんたち受難の時代、と思う。

「ねえ」
そう言うと2人が私を見る。

「例えばさ『君の代わりはいくらでも居る』なんて言ったら?」

2人は同時に吹き出し
「レッド、レッド」とマイが言い、カオリは、うんうん、と頷いている。

「レッド?」
「一発レッドだよ、それ」

あ、レッドカード。

「しばらく社内で語り継がれるくらいのインパクトあるわ、そのセリフ」とカオリ。

そうか…そういうものか…

フリーランスで仕事を請け負っていると、そんなセリフを浴びせられることなど日常茶飯事である。いや、代わりはいくらでもいる、なんてまだ可愛いものだ。発注をちらつかせて「飲みに付き合ってよ」と迫られ、聞きたくもない武勇伝を延々聞かされた挙げ句、同じ方向だからとタクシーに同乗させられ、ホテル街の信号待ちで「うち、ずっとレスなんだよね」と呟かれる。そんな背筋の凍るような経験もすれば、「枕、しないの?」と真顔で訊かれることさえある。

身が震えるような怒りを覚える、というのはまさにこういうときに使う言葉だが、だからといって怒りに任せて目を釣りあげて詰りでもしたら、すかさずその場は「冗談だよ」とかわされ、陰では「冗談も通じないめんどくさい女」とレッテルを貼られて、もうその方面からは仕事は回ってこないと思ったほうがいい。

ではどう躱(かわ)せばいいかと言えば、腹の中の煮え立つ怒りをぐっと抑え、すっとぼけて「枕、もちろんしますよ。私、硬めが好きで、枕変わると寝付けない人なんですよ」とさらりと受け流して相手に恥をかかせないのが最適解だ。そういう当意即妙の受け答えができる女は「話の分かる大人」であり、「あの子、ちょっと面白い子だよ」と好意的に評され、重用される。

「なんでまた?」とカオリが先の私の質問の真意を訊ねる。

そんな苦労話を披瀝するのも、彼女たちに対するある種のマウンティングのような気がして「ううん、ちょっと訊いてみたくなっただけ」と流すが、マイもカオリも私の唐突とも言える問いの裏にある、女一人が男社会の中でフリーランスとして生きていく苦労をちゃんと感じ取ってくれているのだろう、「でもさ、ウチらなんてユウナに比べれば手厚く守られるよね」と言ってくれる。

いやいやいやお気楽なものだよ、気に入らない仕事はバンバン断るし、と言って笑って「そう言えば、大ちゃんはどう?順調に育ってる?」とマイに話を振ると、今度はマイが口をヘの字に曲げて首をふり、「この年度替わりで転職」ポツリと言う。

今度は私とカオリと同時に「えっ?」と素っ頓狂な声を上げてしまう。

「大ちゃん」とはマイの部下の男子である。確か、3年目とか言っていたはずだから、大学受験の時に浪人していなければ25になるのか。いつぞやインスタでマイの職場の慰労会の写真を観たカオリが「この子さ、なにわ男子の西畑大吾にちょい似じゃない?」と評して以来、私たちの中では彼は「大ちゃん」という呼び名で呼ばれていた。

見た目は優男(やさおとこ)である大ちゃんだが、コミュニケーションスキルも処理能力も高く、外見によらず突破力も併せ持つ「走攻守揃った期待の若手」(マイ)だったはず。なぜそれが…

「意外と耐性無かったとか?」とカオリが訊くと、マイは大きくため息をつきつつゆっくりと首を振り
「こんなぬるま湯みたいな職場じゃ成長できない、って」

私たちは言葉を失った。

カオリの勤務先は歴史が比較的浅く、ここ15年で急成長した会社だが、マイの勤める会社は高度成長期から日本経済を牽引してきた老舗素材メーカーである。各種の優良企業一覧に名を連ね、毎年の就活人気ランキングでも全業種合わせたトップ300に常に入っている。

そんな優良企業だが、コロナ禍前の数年、新入社員の離職率がそれ以前に比べて突如跳ね上がって全社的に問題となったそうだ。ちょうどZ世代と呼ばれる1990年代後半生まれの子達が社会に出始めた時期に当たる。

会社は喫緊の課題と捉え、取締役会直下にタスクフォースを設けて各部署から30歳前後の社員たちをメンバーに招集したという。そして事細かな「べからず集」が作られ、それはすぐさま各部署に下ろされた。「褒めて伸ばす」とか「まずは寄り添う」などの基本理念に加えて「勤務時間外のLINEは原則禁止」「飲みニケーションは廃止。仕事の話は勤務時間内に職場で」「人権・環境などに対する彼らの意識の高さを鑑み、差別的言動は厳禁」など、相当、微に入り細にわたった代物だったらしい。

しくじっても叱るどころか「次に頑張ればいいよ」と励まし、注意が必要な場面では「こうするともっと良くなると思う」という表現に変えた。要は全社が敷いた「対Z世代シフト」とは、彼ら彼女らを「腫れ物扱い」することだったという。

入社直後に先輩女子社員に皆の面前で「あなた、仕事舐めてんじゃない?」と言われて悔しくてトイレでおいおい泣いた、という経験を持つマイは、心中では「あほらし」と思ったらしい。しかしこれも時代の要請である。加えて部下の離職は人事上のマイナス評価になる。仕方あるめえ、と割り切って説教したいのを我慢して腫れ物に触るように接した挙げ句が、「ぬるま湯みたいな職場に居ては成長できない」と言われたんじゃあ…

「いやぁ、難しいねぇ…」とカオリがため息交じりに言い、私は「あちらを立てればこちらが立たずってやつだね…」と応じた。
「Z世代、手強いよ…」独り言のようにマイがつぶやく。
私とカオリはうんうん、と頷き、そして眼の前のティーカップを見つめて沈黙した。

私は言わば一匹狼で、仕事上での部下はいないのでマイやカオリの嘆きを自分事としては実感できない。ただ、予備校と大学で教える生徒たちはまさに「The Z世代」である。その彼らの感覚やものの捉え方ー大げさに言えば「世界観」ーは私達ミッド30'sと相当隔たりがある、という想いはある。

予備校の休憩時間に、たまにカップコーヒーを飲みながら彼ら彼女らと言葉をかわすことがあるが、「将来、何になりたいの?」と訊くと「何にもなりたくない」と答える子が多いのには驚かされた。

私たちだって好きで仕事をしているわけではない。だが、大学を出たらその後40年から45年、背中が曲がり始めるまでは仕事をしてお金を稼がねばならないのは、お日さまが東から昇るのと同じ「不変の真理」である。そりゃ、遊んで暮らせればそれが一番いいに決まっている。だが現実にはそんな暮らしができるわけもない。食べていくために何かの仕事をしなくてはならないのなら、せめて「やりがい」や「達成感」「充実感」が得られる職に就きたい。給与やワークライフバランスももちろん大切だが、一生の半分以上の時間を費やすのだ。時間あたりの収入が高ければなんでもいい、というものでもなかろう。

だから、皆、目の色を変えて就職活動をした。(といってもかく言う私は就活レースから途中で降りてしまったが…)さらにその前段階の大学の学部選びも、多かれ少なかれ将来就きたい仕事につながるような学問を学ぶ、という観点で学部を選んでいる受験生が多数のはずだ。

例えば早稲田大学の、商・法・教育・社会・文・人間科学・文化構想、と日程が許される限り片っ端から受けて、受かった学部に進む、という試験の受け方は、初めて耳にしたときは唖然としたが、「何にもなりたくない」というのなら十分有り得る受け方だろう。

昨年だったか、予備校の懇親会(簡単に言えば飲み会)で「Z世代論」が話題になったことがあった。ある英語の先生が「今の子は、何しろ勉強の絶対量が足りないですよね。勉強のやり方に関する質問をしょっちゅう受けるけど、まずはもっとやれって話ですよ。勉強の方法を論じるレベルまでやっていない」そう憤って話すと、傍らの数学の先生が相槌を打った。
「タイパだコスパだってそんなことばっかり言ってね」
物理の先生が付け加える。
「動画を倍速で視聴するんでしょ、今の子。だから衛星授業やビデオ視聴がいつまでも廃れないわけですよ」
口火を切った英語の先生が驚いて言う。
「あっ、講義の動画も倍速で?」
「そうですよ。そうしたら半分の時間で済みますから」

その会話を聞いていた先生たちが口々に慨嘆した。「そんなんじゃだめだ…」「何だそれ」「ありえない」…そして、そのつぶやきが収まった頃、最年長の古文の先生が引き取った。

「ま、子供の数が減っていくっていうのは、そういうことですよ。そんなあの子たちだって、こっちのおまんまの種だからね。大事にしないと…」

「まあでも『世代論』ってずっと昔からあるよね」
そうカオリが言い、そのセリフで私は予備校の懇親会の追想から引き戻された。

「私らは『ゆとり世代』ね」マイが返す。
「ずいぶんとバカにされたよね。やらかすと『ま、ゆとり世代だからな』とかさ」
「一番あったまくる誤解は『君ら、円周率3だったんでしょ』ね」
「そうそう!」と私も思わず声を高くして応じる。
「ドリルとかはちゃんと3.14だったよね」とマイ。

教育業界に少々詳しい私が説明をする。
「あれは、改定指導要領の中に『目的に応じて3で計算しても良いものとする』ってあったのをそこだけ切り取って某学習塾が宣伝に使ったの。学校教育の危機、みたいな文脈で」
「『四角い頭を丸くする』の広告の塾だっけ」カオリのつっこみにうなづいた私は先を続ける。
「例えば直径10cmの球の体積は円周率3で計算すれば、500立方センチメートル。円周率3.14だったら20ちょい増えるんだろうけど、それを一の位まで正確に計算してどれだけのメリットが有るのかって話」
「そのたとえ、よ〜く分かる。言ってみれば会議の議事録に開始時刻10時57分23秒って書くようなものだ」
そうカオリが言うとマイが弾けるように笑って
「そりゃだめだ。そんな時刻記入したら呆れられるわ」
「でしょ。どうせ中学に入れば円周率はπに変わるんだから不要。おおよその値なら、ときに応じて3で計算してもいい。そういう話。それをさ」
「円周率3で楽だったでしょ、とか失礼しちゃうよね」

カオリが化粧室に立ち、そのタイミングでマイに「そんなことがあったんだ」と話しかけると、マイが「そんときは結構落ち込んでてさ。突然LINEで会いたい、時間作ってくれって。ユウナ誘わなくてごめんね」と両手を顔の前で合わせるので、「全然気にしないでよ。私は何しろ仕事終わるの遅いしさ」と答える。

先にも書いたが、この二人には、この二人しか通じ合わない世界観がある。それは、フリーランスの私が抱く、気負いと不安と寂しさが、同じフリーランスの立場の仲間にしか通じないのと一緒だ。だから、そこに自分が居ないことを拗ねる気は1mmも起きない。

化粧室から戻ったカオリが椅子にかけようとすると、いつの間にか傍らに控えていたボーイさんがすっ、と椅子を引いてくれる。

にこやかにお礼を言ったあとに私達に向き直ったカオリは
「今のZ世代がうちらくらいになったら、やっぱり新入社員が理解できないって嘆くんかね?」と問いを投げかけた。

「いや、もう無理。Z世代の連中が理解できないなんて、うちらにとってはもはや地球上の生物じゃないわ」
「α(アルファ)世代だっけ。今の中学生から小学生? その子らが入ってくる前に退散するに限るね」そうカオリがいったのをきっかけに、話題はカオリのFIRE計画に移った。